人生のビジョンの見つけ方
多くの人は人生のビジョンを探します。
「ビジョンを探す」
的な自己啓発セミナーが
高額にもかかわらず人を集めるのは
やはり多くの人が求めているからだと思います。
「なぜ自分が生まれてきたのか?」
宗教などでもそうですが
私たち人間にとって永遠のテーマのように
語られています。
「自分が生まれてきたからには
何か意味があり、人生をかけて
やり遂げなければならない目的がある」
と、多くの自己啓発書などでは
教えられています。
『命をかけて、人生をかけて達成するべき目的』
確かに、こんな壮大なビジョンがあったら
人生は本当に豊かになると思います。
でも...
そんな壮大なビジョンを持っている人が
この世に何人いるでしょうか?
私も大なり小なり目標を持っていますが
「人生をかけたビジョンですか?」
と言われたら
「う~ん?」
です。
ここで言いたいことは、
目標、ビジョン、目的、ゴール...
呼び方は何でも良いのですが
『人生と命をかけた』ものなんて
そう簡単には見つからないという事実です。
完璧なビジョンなんて、そう簡単に
見つかるわけがありません。
もし完璧なビジョンを探していたら
『目的探しが目的』
になります。
つまり
「ゴールを達成する事」
に力を注がないといけないのに
「ゴールを探す事」
に時間、お金、労力を費やしてしまう
人生になってしまいます。
キツイ言い方ですが、こういう状態の人の事を
「自己啓発オタク」
と言います。
世の成功者の本を読み漁り
セミナーに参加したりするものの
「やっぱり何か違う」
と違和感を覚え、また次の目標設定術を
探し始めます。
あくまで私個人の考え方ですが
目的やビジョンは『日替わり』でOK
だと思っています。
「とりあえずでOK」
だと思っています。
「命をかけるレベルではないけど
今はこれが一番情熱があるから
とりあえずやってみよう!」
と、これくらいの気持ちでないと
『行動』できないからです。
何かの『結果』を得るためには
『行動』をしないといけません。
行動の先にしか結果はありません。
例えば、お金を稼ぐという『結果』が欲しければ
仕事をする、ビジネスを持つなどの『行動』が必要です。
どんなに頭の中に凄いアイデアがあっても
『行動』しなければ1円も儲かりません。
思考→行動→結果
この順番でしか、物事は達成できません。
一生をかけて、命をかけてやりたい事なんて
私もそうですが、周りで見つかっている人を
ほとんど見た事がありません。
ガンジーさんとか、
そういう偉人レベルの人だけではないでしょうか?
ただ目的や目標がないと人生が
虚しくなる事も確かだと思います。
ですので私はいつも
「とりあえず」
という感じで目標を決めてしまっています。
私たちの心と体は素直なので
目標や方法がズレていた場合は
違和感を覚えます。
苦しい、モチベーションがあがらない、
朝起きれないなど、何らかの信号を
送ってくれます。
問題は「慣れる」ことです。
私たちの防衛本能は優れているので
嫌なことでもすぐに慣れてしまいます。
そしてその内、それらが
常識になってしまいます。
不感症になってしまうのです。
ですので、私は違和感を覚えたら
なるべく『すぐ』に解決するようにしています。
色々な解決策があるのですが、やはり一番は
『新しい人に出会うこと』
です。
同じような環境や人と一緒にいると
居心地が良くて停滞してしまいます。
私も小さい業界では有名人で
チヤホヤ甘やかされることが多いので
だんだんと居心地が良くて怠惰になります。
ですので、1年に1ヶ月と決めていますが
「居心地の悪い場所に出向く」
という習慣を取り入れています。
たいてい、毎年2月~3月にかけて
私のことを知らない人がいる業界の人に
会うようにしています。
人と会うのがあまり好きではないので
苦痛なのですが、とにかく人と会いまくります。
例えば、
・自分よりも収入が高い人
・格好良いと思える仕事などをしている人
・本を読んで尊敬できた人
・稼いでいるお弟子さん
など「理想」「尊敬」にヒットする人たちに
会いまくっていきます。
すると、大なり小なり
次の道が見つかります。
たいていこの時期に、次のステージに進む
キッカケや目標が見つかります。
この世には絶対的な完璧は
存在しないと思っています。
『命をかけた壮大なビジョン』
は、存在しない完璧を求めるようなものです。
存在しないものをいくら探しても
見つかるわけがありません。
個人的には最終的なビジョンは
死ぬまで見つかればラッキー
程度に考えています。
このやり方が正解かどうかはわかりませんが
このマインドで毎日を生きていると
行動がメインになりますので
嫌でも成長してしまうと思っています。